雑記
本当に困った時① 目の前にあることをする
本当に困った時に何をしたら良いかという問いがあります。その答えを知りたくて多くの本を読みました。どの本にも「あなたに今できることをしなさい」「あなたのすぐ目の前にあることをしなさい」と書いてあります。
私は困りました。その意味がわかりません。自分にできることで目の前にあることって・・・。そしてそれが何につながるというのでしょう。問題解決とは全く関係ない、とてもむなしいことのように思えます。
とは言え、何かしていないと思いつめてしまいますから、仕方なく、私は自宅の不要な物の片付けをすることにしました。そう、簡単に言えば部屋の掃除です。自分にできて、目の前にあることですから、とりあえず、それをすることにしました。長年捨てずに溜めたものは大量にあり、大型のものは肉体的にも大変でしたが、それが故に集中することもできました。集中して行うと、時には自分が抱えている問題を忘れることができました。
自分にとっては一大事業である「片付け」をやり終えた時、「ああ、済んだ」と思いました。これが何につながるか意味はなくとも、きれいになったのだから、それはそれでよかったと思いました。
そんなある日、ある人の訪問を受けました。私は片付けが済んでこざっぱりとした我が家で、その人の話をうかがうことができました。
彼は、私が抱えていた問題の解決につながるキーマンその人でした。
断捨離などという言葉がはやるよりもずいぶん前のことです。
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「片づける」のもとは、「片を付ける」なのだそうです。一度おしまいにするという意味でしょうか。おしまいにするからこそ次が生まれるということですね。
私たちの心の中には無意識下でおしまいにできていないことがあるようです。それに気づいてピリオドを打つことで、明日からの人生を健やかに生きたいものです。
本当に困った時② 流れに乗る
清水の舞台から飛び降りたつもりで高価なバイクをネットで購入しました。
バイク専門の陸送業者に頼みましたが、残念なことに、タンクに一部凹みがありました。バイクショップにはあらかじめ電話で凹みは無いことを念押ししていたにも関わらずです。
陸送業者は、3万円の修理代を提示してきましたが、再塗装をするにしても、取り外し工賃、純正ステッカーなど含めると到底その値段でできる気がしません。
職場のかなり年上の先輩は次のように言葉をかけてくれました。
「あのね、世の中には、『流れに乗る』という考え方があるんだよ。君には不満かもしれないが、相手がそう言うのなら、素直にハイと言っておきなさい。」
なので結局そういうことになりました。
さて、このバイクでツーリングに出かけると、アクシデントにより、腰椎に大変な怪我を負ってしまいました。旅行保険を掛けていたので、整形外科に通った日数分の通院給付金を請求すると、「入浴ができるようギプスに取り外しの割りが入っていると診断書にある。ついてはその分、軽傷とみなして通院給付金を割引きます。」
がっかりです。不運を痛感したのは、診断書の様式には簡易版もあったのですが、もしそれを使っていれば、そんなギプスの詳細な構造まで記載されなかったはずです。この点納得がいかないので、保険会社に物申すと、外部調査機関に任せますとの意向。悪い予感がしながら、了解しました。
結論としては、やはり通院給付金は思ったようにはなりませんでした。しかし、次のように保険会社から伝えられました。
「後遺障害の等級に該当する怪我なので、傷害給付金の対象となると思われます。その手続きをとってください。」
もし、簡易版の診断書で、通院給付金が満額支給されていたら、私はそれで納得していたでしょう。
これらの一連が「流れに乗っていた」ということなんだな、と理解しました。
市役所勤務の中で① 怒りを鎮める
市役所の税務担当課に勤務していた時の経験です。ある日、市民からお叱りの電話を受けました。
市役所各課の事業や業務は、市民との関わりの結果、ご本人の市税に影響をもたらす場合があります。この方にしてみれば、市に協力する立場をとったにも関わらず市税が思わぬこととなったので、これは一体何だというわけです。どうやら他課担当職員からの説明の中で行き違いあったようでした。
電話の向こうの声が尋常でないので、上司と2人でおじゃますることにしました。
そこで私の上司は身振り手振りを交えてこう言いました。「お腹立ちの気持ちも良くわかるが、この場合の税金の負担は決して間違いではない。ひとつ大目にみてもらえないだろうか。」
きっと上司はこう考えたのでしょう。『説明が不十分であったが、それを部局の異なる者は謝る立場ではない。謝ったところでその言葉に説得力はないだろう。』
しかし、これを聞いてもこの方は怒りを鎮めることはありませんでした。
上司がトイレを貸りるため席を外したので、相手と2人だけになった私は気まずいこともあり、思い切って次のように言いました。
「私などが謝ったところで何の役にもたちませんが、今、申し訳ない気持ちでいっぱいです。私はまだ若いので、これから様々な部局へ異動するでしょう。その節には今日あったことを思い出して、少なくとも自分の仕事の上で二度とこのようなことがないよう気をつけるつもりです。今日はとても勉強になりました。私はお詫びを申し上げることはできませんが、お礼を申しあげることができます。どうもありがとうございました。」
これを聞いて、この方の表情がスッと緩むのがわかりました。
間もなくトイレから帰ってきた上司に、相手は言いました。「だいたい事情はわかったから、もう良い。まあ、君たちもがんばることだな。」
帰り道、上司は私にこう言いました。「どうだ、顔をみて話をすればたいがい理解してもらえるものだ。勉強になっただろう。」私は口では「はい」といいながら、頭の中は、自分の言葉のどの部分がどのように相手に届いたのか、それを考えることでいっぱいでした。
市役所勤務の中で② 私だったらこうします
用地買収の部局へ異動しました。土地区画整理事業です。地権者の皆様には整備前の土地から、少し離れた整備後の土地へ移動していただくことになります。ある地権者のもとへ、整備後の土地について説明に出かけたところ、「こんな土地でどうやれというのだ」と言われてしまいました。
そこで、「私だったらこう利用します」と、日当たりを考慮した上で、図面の上に店舗、住宅、駐車場を描きました。
相手は黙っていましたが、次出かけた時には移転契約を調えることができました。
何年か後にこの方とその家の前で偶然出会い、私の方から、「今はイベント事業の課で、チケットの販売に奔走しています」とあいさつをすると、「ああ、あなたにピッタリじゃないですか、どうぞ頑張ってください」と笑顔で励ましまで頂きました。
私にピッタリってどういう意味かな、自分ってどう見えているのだろうと思いながら、私が提案した配置そのままの建物を見上げていました。
市役所勤務の中で③ とにかく欲しい
画期的な電子手帳が発売になったので、早速手に入れました。うれしくてたまらないので、職場で昼休みに同僚に自慢しながら見せました。「こんな風にもあんな風にも使える」と熱心に説明すると、相手もその実用性を評価して「最近の技術もここまで来たか」と興味深々です。
しばらくすると、離れた席から別の同僚がやってきて言いました。「僕、それ欲しくなったんだけど、一体何の話してんの?」と。
私は思わず吹き出しながら、「何かわからないのに欲しくなったの?」と聞くと、「だってとにかくすごいということは伝わってきたから。」
すごそう、楽しそうという情動は、その情動だけで存在するのだと気づきました。
偉い人① アルゴリズム体操
NHK「ピタゴラスイッチ」で「いつもここから」という2人組みの漫才師がアルゴリズム体操という体操を披露しています。
これは歌と振り付けからなるものですが、途中はこんな感じです。「一歩すすんで偉い人」という歌詞のところでは、腕を腰にあてて上体はそり返えらせます。同時に、その前に並んでいる人は「偉い人」の方を振り向いて、「ひっくり返ってペコリンコ」と上体を前に倒します。
こんな振り付けのアルゴリズム体操は、子どもならずとも大人でも思わずみとれてしまい、とても人気が高いようです。ここでいう「偉い人」とは大会社の社長さんでしょうか。「ペコリンコ」とするのは、イエスマンの部下なのでしょうね。
でも、この腰に手をあてる「偉い人」というのはよく考えるとおかしいですよ。これでは「偉い人」ではなく、「偉そうにしている人」「いばっている人」ですよね。
こういう振り付けを見て、子どもたちには「偉い人」の誤った印象が刷り込まれていくのだと思い、少しこわい気がしました。
それでは、本当の意味での偉い人とはどんな人のことを言うのでしょうか。経済的に成功した人とか、財産が多くある人のことを言いますか。それともいわゆる旧家とか名家の出であるということでしょうか。当然そういう人の中にも偉い人はいますが、イコールではないですよね。
真の「偉い人」の意味は一言では定義できないように思いますので、ここで決め付けはできませんが、それを突き詰めて考えることは、時には大切なこととなるようです。
多くの場合は自分の人生の分岐と思われる際に。
偉い人② お殿様
問答です。
A「例えば学校の先生は子供たちにとって偉い人ですよね。」
B「いいえ」
A「それじゃあ、江戸時代のお殿様は偉い人でしょう。」
B「いいえ。」
A「だって、身分制度が認められていた時代ですよ。武士は偉い人だったのでは?」
B「この世に「えらい人」なんていないよ。あなたがいう「偉さ」というのは、何なの? 別の言葉で言ってごらん。」
A「・・・だって、殿様なら、自国を守り、自分の領地の人々や家臣を食べさせていくという政治、それを立派に行うということです。」
B「それなら『自分の責任をまっとうする人』といえば良い。」
偉い人③ 学歴
人に学歴を尋ねるのって少し抵抗がありますよね。なぜでしょうか。
それは、学歴がその方の本質を表しているわけではないことを(なんとなくでも)知っているからです。しかしその一方、その学校を卒業したということは事実です。
学歴、性、年齢、出身、職業のように所属している枠取りのことを難しい言葉で言うと「属性」と言います。
それでは、「属性」に相対する言葉は何でしょうか。それは「業績」です。業績は、個人が努力して手に入れた結果のことですから、これこそ本人の本質を表しています。
さて、学歴は本人が努力して手に入れたと考えれば「業績」であるという意見がありますが、あなたはどちらと思いますか。
このことについて少人数でも複数の人と話し合うと、様々な意見が出るので、自分の視野の角度に気づくことができます。
窮屈いやだ① 差別する人の心理
差別をする人は、差別という鎖で人を縛りつけて、離れ小島においやって身動きできないようにしてしまいます。
そうしておけば、差別の問題から距離を置けるからです。きっと自分は、安全な大陸側にいるような気がしているのでしょうが、それは本当でしょうか。
自分の人生の歩き方に、人を差別するというルールを設けているとしたら、そのルールに従って人生を歩くのは自分です。そう、ルールに縛られた生き方をするのは自分です。鎖に縛られて孤立しているのは実は差別する自分の方です。
自分は大陸側にいると安心していても、それは思い込みなのですよね。少し離れてみてみるとよくわかります。その大陸とやらがとても狭くて窮屈なことが。
窮屈いやだ② 100円の募金って、点数は何点?
街角で募金活動をしているのを見て、Aさんは協力することにしました。
前の人はなんと1万円札を入れているのが見えましたが、Aさんは自分ができる金額として100円玉を一ついれて少し恥ずかしそうに小走りに行ってしまいました。
さあ、1万円を募金した人の行為を100点とすると、100円を募金したAさんには何点を付けられるでしょうか。
これは、多くの方が同じ意見と思いますが、やはり100点ですよね。自分がその時できることをすれば、金額の多寡ではありません。つまり、共生の心とか助け合いの心とは、その内容の濃い薄いではないことがわかります。
しかし、こういう考えに慣れてしまうと、自分はできている、している方だと思ってしまいがちです。だって、100円で100点満点ですから。(あえて誤解を恐れずに申しております。)
実は、人権や差別の問題というのは、この「共生の心を養う」という課題とは別に、「差別をしない」という態度が求められています。
こちらの方は、「僕は100円でいい」とか「行政の責任ではないか」というような「幅」や「矛先」の話題に置き換えることができません。問われているのは単純明解に「差別をするかしないか」「紅か白か」です。
これは自分の明確な旗色を宣言する話なので、実はずっとしんどいのです。
例えば、人権の話題になった時に、今、どちらの話をしているのか(思いやりの話か、自分の旗色の話か)意識して考えてみると、その場の理解や雰囲気はとても深まると思います。
そんな時にオピニオンリーダーになれるといいですよね。